退職願を提出した日の事は今でも忘れることができない。
私は最初に勤めた会社を、20年在籍した後に退職した。
数年前から退職するつもりでいたので、どのような事業を始めるか、必要な税務処理は何かなどについて日々勉強していた。
会社の就業規則も確認し、退職時期や提出書類については万全を期していた。
通勤時の景色もあと何回見るのだろう?と感慨にひたる日々を過ごしていた。
ちょうど自分の携わっていたプロジェクトが一段落し、期の終わりに近づいたある日、私は退職願を上司に提出した。
提出する前に携帯で妻にメールした。
「これから上司に退職願を提出するよ」
すると妻から返信が来た。
「うん、わかった」
あまりの短さに一瞬びっくりした。
なぜなら、私は退職について妻にはほとんど相談していなかったからだ。
会社の状況はよく話していたし、日頃から会社を辞めたいというようなことは愚痴っていたので、薄々は感じていたのかもしれないが、一般的に、奥さんは退職に反対し、それを説得するのが一苦労だという話をよく聞いていた。
ましてや、当時うちの娘二人は高校生と中学生で学費などの心配がある状態であった。
思い立ったら行動せずにはいられない私の性格を理解してくれていたのか、それとも諦めていたのかはわからないが、自分と家族の運命を私に預ける覚悟のようなものが感じられた。
妻の凄みを感じたし、凄い人だなぁと人ごとのように感心してしまった。
自分が頑張らなければならないのに、なんかこの人と一緒だと大丈夫だなと根拠のない自信が溢れてきた。
あの時、もし妻が「子供の学費はどうするの?」、「成功する保証はあるの?」というような理詰めの反論をしてきたら私と家族の運命もまた違ったものになっていただろう。
少なくとも今現在、退職前よりも充実した人生をおくれているのは、まぎれもなくあの時の妻の一言のおかげだ。
私はあの時のことを忘れることはないだろう…
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